2006年 04月 26日
うれしいメール♪ |
なんか、喉痛いなぁ・・・。最近はフリーすぎるセッションで(笑)そして、フリーすぎるスタイルで絶叫しているオレ。フリーもたいがいにせよっ!ってな感じか?ペラックT錠飲んでおこ。先日、大学時代の先輩である山口拓朗氏から嬉しいメールが届いた。彼は現在フリーライターとして活躍中なのだが、学生時代はシンガーソングライターとして演りまくり、オレに大きな影響(とくにフォークの!)を与えた人物なのだぁ!!そんな先輩のブログにも載った文章。オレは先輩の文にも感動したのだが、自分の10年に感動しちまって・・・(笑)泣きそうになりました。あまりにも感動したので、近いうちにホウムペイジで発表しようと思うんだけど、まずは、ここで一足早く
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
大学時代の音楽仲間であるサノヒロアキからCDが送られてきた。5月22日に発売され
る自身のソロベストアルバム「10年旅行 ~ベストオブ☆ヒロちゃん2006-1996」
(FJHR-0002/\1500)。
ふだんはバンドで活躍している彼だが、その珠玉の才能は、バンドのボーカリスト&
パフォーマーとしてのそれだけではなく、シンガーソングライターとしてのものでも
ある。
このアルバムには、バンドの楽曲とは別に、彼がライフワークとして歌い続けてきた
ソロ楽曲が収められている。ボーナストラックを含めた全15曲は、アルバムタイトル
の通り、彼が旅してきた10年間の軌跡そのものである。
ギターの弾き語りを中心とした楽曲は、メロディーメーカーとしての資質と、吟遊詩
人としての資質が見事に交錯しており、どこをどう切り取ってもサノでしかない。そ
して思うのは、彼の歌の原動力――それは“痛み”ではないだろうか、ということ。
そんなふうに書くと、本人は「そんなカッコいいもんじゃない」と笑って否定するか
もしれないが、ボクはその感想を訂正するつもりはない。
さして代り映えしない日々。多かれ少なかれ、それがボクらに与えられた現実だろう。
起伏のない日々の惰性に流され、いろいろなしがらみにもまれながらも、なんとかし
て起き上がり、羽を羽ばたかせ、舞い上がろうとする。重たく雲が垂れ込めた都会の
空に、ほんとうにボクらが飛べる場所があるかどうかは分からない。だけど、サノは
澄み渡った青空を信じて、羽を羽ばたかせることをやめようとはしない。幾度となく
その羽をもがれかけながらも。
不器用――。それは今の世の中では褒め言葉になりえないのかもしれないが、そんな
不器用さを自認しながらも、ただひたすらに信じる道を歩き続けるサノの純粋な生き
様は、彼が紡ぎ上げる「曲」に「詞」に「歌声」に、すべて放り込まれている。時代
がどう評価しようと、彼は歌を歌い、作品を残し続けてきた。そこには本来、「評価」
などという概念すら入り込む余地はないのだと思う。ボクが書くこんな能書きを含め
て。
ボクにとってサノの「10年旅行」は、終着点のないロードムービーに等しい。
自由な旅に“痛み”はつきものだから。
根底に“痛み”が流れていればこそ、彼の歌はダレよりも優しく、切なく、温かい。
そして、その“痛み”はかけがえのない希望へと昇華され、リスナーの心を至福の世
界へと誘っていく。
サノはそんな“痛み”をいつも笑いながら歌っている。さもそれが自分の友達である
かのように。“痛み”を出発点する希望には真実味がある。それがボクがサノの歌に
惹かれ、勇気づけられる理由である。
彼のCDがたとえ日本のヒットチャートをにぎわす作品の何十分の一、何百分の一しか
売れないとしても、彼の歌のもつ価値は変わらない。そう、未来永劫、ずっと。
おそらくボクが、この「10年旅行」を365日、BGM的にへビーローテーションさせるこ
とはないと思う。だけども、これからの人生において、何か心のなかにうずきを感じ
たとき、胸がざわついて仕方がないとき、ボクは迷わずオーディオプレイヤーにこ
のCDを入れるだろう。それは彼が、商業ベースに沿った「流行」ではなく、極めて個
人的なフィルターを通しながらも「普遍」を歌っているからにほかならない。
サノヒロアキは歌う。
「暗闇もきっとてらすよ。きみと光るように生きていくんだ。暗闇もそっと笑って、
おねがい、目をつむるなんて言わないで」(「きっとてらすよ」より)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
大学時代の音楽仲間であるサノヒロアキからCDが送られてきた。5月22日に発売され
る自身のソロベストアルバム「10年旅行 ~ベストオブ☆ヒロちゃん2006-1996」
(FJHR-0002/\1500)。
ふだんはバンドで活躍している彼だが、その珠玉の才能は、バンドのボーカリスト&
パフォーマーとしてのそれだけではなく、シンガーソングライターとしてのものでも
ある。
このアルバムには、バンドの楽曲とは別に、彼がライフワークとして歌い続けてきた
ソロ楽曲が収められている。ボーナストラックを含めた全15曲は、アルバムタイトル
の通り、彼が旅してきた10年間の軌跡そのものである。
ギターの弾き語りを中心とした楽曲は、メロディーメーカーとしての資質と、吟遊詩
人としての資質が見事に交錯しており、どこをどう切り取ってもサノでしかない。そ
して思うのは、彼の歌の原動力――それは“痛み”ではないだろうか、ということ。
そんなふうに書くと、本人は「そんなカッコいいもんじゃない」と笑って否定するか
もしれないが、ボクはその感想を訂正するつもりはない。
さして代り映えしない日々。多かれ少なかれ、それがボクらに与えられた現実だろう。
起伏のない日々の惰性に流され、いろいろなしがらみにもまれながらも、なんとかし
て起き上がり、羽を羽ばたかせ、舞い上がろうとする。重たく雲が垂れ込めた都会の
空に、ほんとうにボクらが飛べる場所があるかどうかは分からない。だけど、サノは
澄み渡った青空を信じて、羽を羽ばたかせることをやめようとはしない。幾度となく
その羽をもがれかけながらも。
不器用――。それは今の世の中では褒め言葉になりえないのかもしれないが、そんな
不器用さを自認しながらも、ただひたすらに信じる道を歩き続けるサノの純粋な生き
様は、彼が紡ぎ上げる「曲」に「詞」に「歌声」に、すべて放り込まれている。時代
がどう評価しようと、彼は歌を歌い、作品を残し続けてきた。そこには本来、「評価」
などという概念すら入り込む余地はないのだと思う。ボクが書くこんな能書きを含め
て。
ボクにとってサノの「10年旅行」は、終着点のないロードムービーに等しい。
自由な旅に“痛み”はつきものだから。
根底に“痛み”が流れていればこそ、彼の歌はダレよりも優しく、切なく、温かい。
そして、その“痛み”はかけがえのない希望へと昇華され、リスナーの心を至福の世
界へと誘っていく。
サノはそんな“痛み”をいつも笑いながら歌っている。さもそれが自分の友達である
かのように。“痛み”を出発点する希望には真実味がある。それがボクがサノの歌に
惹かれ、勇気づけられる理由である。
彼のCDがたとえ日本のヒットチャートをにぎわす作品の何十分の一、何百分の一しか
売れないとしても、彼の歌のもつ価値は変わらない。そう、未来永劫、ずっと。
おそらくボクが、この「10年旅行」を365日、BGM的にへビーローテーションさせるこ
とはないと思う。だけども、これからの人生において、何か心のなかにうずきを感じ
たとき、胸がざわついて仕方がないとき、ボクは迷わずオーディオプレイヤーにこ
のCDを入れるだろう。それは彼が、商業ベースに沿った「流行」ではなく、極めて個
人的なフィルターを通しながらも「普遍」を歌っているからにほかならない。
サノヒロアキは歌う。
「暗闇もきっとてらすよ。きみと光るように生きていくんだ。暗闇もそっと笑って、
おねがい、目をつむるなんて言わないで」(「きっとてらすよ」より)
by sanohiroaki183
| 2006-04-26 18:06